源光庵の血の天井と迷いと悟りの窓と御朱印
2018.11.02
京都の洛北鷹峯。
京都の歴史が垣間見える源光庵の血の天井。
みやこびとの気持ちが垣間見える二つの窓。
源光庵の血の天井と迷いと悟りの窓と御朱印について紹介します。
源光庵の血の天井は関ケ原由来の天井
源光庵の血の天井。
これは関ケ原の戦いに由来するものです。
徳川家康が会津若松の上杉景勝を討伐しようとしたことが発端です。
家康は会津若松に向かう途中、大坂で石田三成が挙兵したことを知ります。
関西では家康の住居は伏見城となっていました。
その伏見城の留守を預かったのは鳥井元忠。
鳥井元忠は徳川家康より5歳年上で幼少期からの世話役でした。
徳川家を苦難から守り抜いたのは鳥井元忠の父忠吉でした。
家康にとっては最も心を許した家臣だったでしょう。
その鳥井元忠は伏見城に籠城し、玉砕します。
その際、伏見城本丸では床と畳が血で染まったといわれています。
源光庵の血の天井はその床板を天井にしています。
そのため、色が付いたような板になっています。
源光庵本堂は1694年の創建です。
関ケ原は1600年ですね。
伏見城の‘床板’は江戸期非常に大事にされたようですね。
伏見城の‘床板’は宗派を問わず京都の六寺院に残されています。
源光庵の迷いの窓と悟りの窓
源光庵の本堂東側には迷いの窓と悟りの窓があります。
源光庵は曹洞宗の寺院です。
禅宗の寺院はお寺の中に考える空間を作ることが多いようですね。
源光庵の迷いの窓
源光庵の迷いの窓は四角の形をしています。
生老病死の4つの苦を角で表しているそうです。
角は‘角が立つ’など、言葉がありますね。
源光庵の悟りの窓
源光庵の悟りの窓は丸の形をしています。
われない心・そして大宇宙を表しているそうです。
禅僧の円相も同じ意味なのですね。
源光庵の御朱印に書いてある京洛北
源光庵の御朱印
源光庵では御朱印をいただくことができます。
御朱印は受付でお申し出ください。
源光庵の御朱印には京洛北と書かれています。
京と京都は古くからの呼称の一つです。
しかし、どこか歴史の中では京の方が京都に相応しいですね。
源光庵の血の天井と迷い悟りの窓・御朱印について紹介しました。