建仁寺とその塔頭に残る偉人のお墓と歴史
2018.10.25
京都五山第二の建仁寺。
祇園から花見小路を南に下った場所に所在します。
今回は建仁寺とその塔頭に残る偉人のお墓と歴史を紹介します。
建仁寺塔頭久昌院に残る偉人赤松則村のお墓
建仁寺三門の西側に建仁寺塔頭久昌院があります。
久昌院には南北朝の武将赤松則村(円心)が眠ります。
赤松円心は播磨国(今の兵庫県西部)に生まれます。
鎌倉幕府の倒幕を目指し活躍します。
しかし、後醍醐天皇による建武の新政では冷遇されます。
そんな赤松円心は足利尊氏の北朝を助けます。
尊氏の危機に一人で南朝軍をすべて背負い、北朝を勝利に導きました。
建仁寺久昌院に赤松円心は眠ります。
建仁寺久昌院にある雪村友梅の墓所
雪村友梅(せっそんゆうばい)は鎌倉末期に越後に生まれます。
18歳にして元(中国)に渡りますが、日本と元の関係は悪化します。
それが元で中国ではかなり苦労したようですね。
後に日本に戻り、上記の赤松円心に崇敬されました。
最終的に朝廷より建仁寺の住持を命じられます。
素晴らしい禅僧だったのでしょう。
建仁寺方丈裏にある安国寺恵瓊の墓所
織田信長が健在の頃、豊臣秀吉の天下取りを予想した人物。
それが安国寺恵瓊です。
安芸国(現広島県)に生まれた安国寺恵瓊。
恵瓊は幼少期に実家を毛利家に滅ぼされます。
しかし、長じて、毛利家の外交顧問となります。
毛利と織田がぶつかった中国征伐。
安国寺恵瓊は毛利と織田の間を何度も往復します。
そして本能寺の変後の毛利家の安泰を成し遂げます。
後に関ケ原の戦いで西軍に付き京で斬首されました。
建仁寺方丈裏に安国寺恵瓊の首塚が残っています。
建仁寺開山墓所にある林浄因の墓所
林浄因とは日本に饅頭を伝えた宋の方です。
後に塩瀬と名乗り、奈良から現在は東京で菓子店をされています。
建仁寺に林浄因のお墓があるのには理由があります。
鎌倉期に龍山徳見という禅宗の僧侶がいました。
この方が、中国へ留学した際に林浄因と知り合います。
その後、足利尊氏の弟直義の招きで建仁寺にも住持しています。
この時のご縁で建仁寺にお墓があるようですね。
林浄因といえば、奈良の漢国神社が有名が京都にもご縁があったのですね。
建仁寺開山墓所にある末次平蔵の墓所
末次平蔵は博多の商人で長崎代官を担った人物です。
ちなみに末次平蔵は初代から4代目まで全員が名乗っています。
後に、江戸幕府の法に触れることをして一家断絶になります。
しかし、初代平蔵は長崎に建仁寺派の寺院を建立していました。
このご縁から、建仁寺にも墓所があるようです。
建仁寺には多くの偉人が眠ります。
訪ねてみてください。