金閣寺の正式名称と建立した人物の歴史
2019.06.30
京都市北区の金閣寺。
京都で雪が降れば真っ先に映し出される寺院です。
金閣寺の正式名称と建立した人物の歴史などを紹介します。
金閣寺の正式名称は鹿苑寺金閣
日本で最も著名な寺院の一つである金閣寺。
金箔を施した3階建ての建物を知らない日本人はいないでしょう。
そんな金閣寺には正式名称が他にあります。
金閣寺というのは実は通称なのですね。
金閣寺の正式名称は鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく)と言います。
ちなみに銀閣寺も正式名称は慈照寺銀閣と言います。
歴史の教科書などでは金閣寺も鹿苑寺金閣と正式名称で書かれています。
しかし、通称はやはり金閣寺ですね。
テレビなどでも金閣寺と紹介されていることが多いようです。
金閣寺の正式名称をご紹介しました。
鹿苑寺金閣の前身は藤原氏の西園寺
鹿苑寺金閣は足利義満によって建立されます。
それまで、現在の鹿苑寺の境内は公家の西園寺家の土地でした。
西園寺家といえば、現在の立命館大学の創設者の家でもあります。
西園寺家は元々は藤原家の一族で、鹿苑寺の地に西園寺を建立していました。
それで西園寺と名乗っていました。
鹿苑寺金閣を建立した足利義満の歴史
西園寺氏は南北朝期に騒動を起こし、大幅に所領を減らされます。
そして、西園寺と足利義満の持つ河内の所領を交換します。
現在の鹿苑寺の土地はこのようにして足利義満が手に入れました。
足利義満は北山山荘と称し、ここに政治の場所を移します。
名目上は息子の義持に将軍職は譲位していました。
その上で、こちらの方で院政を開始しました。
鎌倉時代以降、将軍が天皇から委任されて国内を統治してきました。
しかし、実際は将軍一人に力が集中することはなかったといわれています。
誰かに力が集中しないように合議制が鎌倉時代は取られていました。
足利義満はそういった意味では自らその形を作り上げます。
日本史上稀にみる力を集約させて絶対的な地位を築きます。
その絶対的な地位の象徴が金閣という建物だったのでしょう。
金というと、成金など、あまり良いイメージで使われることもあります。
しかし、金閣は下地が漆のためか、とても洗練して見えるように思います。
金閣寺は義満の死後、その遺言通り、禅宗寺院となります。
ここで北山荘・北山第は鹿苑寺金閣となりました。
修学旅行で行ったきりという方も多いのではないでしょうか。
時間を経て、また今のご自身の眼で見ていただくと、それまでと違った印象の金閣寺を見ることができると思います。
京都散策の折には、金閣寺にも足を運んでみてください。
金閣寺の正式名称と創建した人物・歴史について紹介しました。