西陣の今を太宰府でお話させていただきました その2
2019.05.27
京都西陣。
古くから繊維の町として多くの着物や帯が製造され、世に送り出されました。
そんな京都西陣も時代の変遷と共に変わりつつあります。
前回に引き続き、太宰府でお話させていただいた西陣の今をご紹介します。
西陣から工場が減少した理由
前回、西陣の工場の跡にマンションが立ち並んでいることを紹介しました。
それにもう一つ、西陣の人口減少についてもご紹介しました。
西陣から工場が減少した理由はいくつかあります。
1.流通構造の変化
2.需要の減少と供給過多
3.業界の主導権を握ることができなかった製造元
西陣の変遷その1 流通構造の変化
産業の成長はより多くの市場に供給するために量産体制と販売網を確立します。
しかし、供給過多になると、売上の減少・流通体制に限界が露呈します。
生産→問屋→問屋→小売
流通はリスクを避け始め、いわば単価向上を目指す姿勢が広がります。
それは同時に生産へのしわ寄せとなっていきます。
問屋・小売は仕入のリスクを減らし、売れる商品を売るようになります。
拘った商品の製造元ほど、原価が高いために既存販路の限界が出てきます。
西陣の変遷その2 供給過多による需要の減少
バブル経済の流れで市場に消費力以上の商品を供給します。
しかし、消耗しない限り次の商品のは買うことはありません。
自然と需要が減少するのですね。
西陣の変遷その3 業界の主導権を握ることができなかった製造元
商品は製造・流通・販売の3つの機能で消費者に届けられます。
どの機能がなくなっても商品を作ることはできません。
戦後の日本社会には様々な業界が商品を作り、市場に出荷しました。
業界の中には、販売が主導権を握った業界もありました。
一方で、製造元が産業の主導権を握ることができた業界もあります。
製造元が産業の主導権を握ることができた業界
自動車・ビール業界
製造するために独自の流通・販路を作っていきました。
自動車とビールは今でも販売店よりも製造元の方がニュースにもなりますね。
販売成果に合わせてリベートという褒賞が発生するのも製造元が価格決定権を持っているからですね。
西陣の織物は、その織物が高級であるために販路の拡大は難しかったといえるでしょう。
呉服店のみなさまは、特定の顧客の方向けに様々なサービスを行い、着物・帯が必要な時に購入してもらう環境を作ってこられました。
それは呉服店主人の営業力に寄るところが大きかったでしょう。
代替わりの際に顧客の方との関係を継続的することは難しかったでしょう。
こういった事情もあり西陣は業界の主導権を握ることができませんでした。
西陣が今、目指しているところ
そんな西陣が今、目指しているのは製造だけでなく販売できる環境づくりです。
西陣で製造し、西陣で販売する。
このような形を模索しています。
そのため、西陣では様々な催しものが行われています。
織成館で行った芸者・舞子さんの体験講座
須佐命舎で行った帽子の展示会
美智子皇后の御帽子を担当されていた方のご息女がパリコレで紹介した帽子の展示会を須佐命舎で行いました。
音楽のコンサートなど、様々な催事を通じて、西陣をみなさまに知っていただける機会を作っています。
長崎平山茶道会館のみなさまのご来館くださいました。
1人でも多くの方に西陣を知ってもらいたい。
西陣では渡文だけではなく、多くの製造元がさまざまな催事を行っています。
1人でも多くの方に来ていただきたいと考えていますので、京都にお越しの際はぜひ、西陣にお立ち寄りくださいませ。
太宰府でお話させていただいた西陣の今。を紹介させていただきました。