御池通りと京都市役所

2019.09.25

京都の商業地域と御所の間を東西に通る御池通り。
京都市役所も御池通りにあります。

今回は御池通りと京都市役所について紹介します。

御池通りの由来

御池通りはその名の通り池に由来します。

その由来になった池は説が2つあります。

一つは神泉苑の池の端を通るので名付けられたという説。

もう一つは両替町の町家の裏に御池の旧跡があったという江戸期の記録も残っています。

御池通の京都市役所

御池通りには京都市役所があります。御池通りと河原町筋の交差点の北西に位置します。

なお、京都市役所の住所は中京区寺町通りとなります。

京都市役所の南側には現在の本能寺があります。

こちらの本能寺は本能寺の変の本能寺です。

しかし、場所は豊臣秀吉の命令で現在地へ移転しています。

御池通りの自民党京都府支部

御池通りを西に行くと堀川通りよりも少し東の北側に自民党本部があります。

御池通りは二条城・長州藩店・京都府庁・自民党と歴史的に政治の場といえるでしょう。

御池通りの拡張は戦時中の空襲対策

御池通りは戦時中に拡張されます。

日本のまちは基本的に木造がほとんどでした。

特に京都は木造の町家が密集しています。
焼夷弾を投下されれば市街地は全焼していたでしょう。

京都の町は歴史的にも非常に火災の多い地域です。

戦災等もあり、何度も復興してきた歴史でもあります。

しかし、また同じように密集していくのですね。

それで戦時中、空襲が厳しくなり始めたころから、空襲対策が始まります。

京都もこの時に御池通りを拡張することで空襲による市街地全焼への対策としました。

実際には京都には空襲は行われませんでした。

色々と説があるようですが、当時の米国国務長官が米陸軍の京都空爆許可を認可しなかったようですね。

御池通りのホテルオークラの桂小五郎座像

御池通りのホテルオークラの北西には桂小五郎座像があります。

ホテルオークラ京都は実は長州藩邸跡になります。

京都府初代知事の槇村正直は長州藩出身です。

京都府庁は京都御所に西側にあります。

京都府庁は京都守護職の屋敷跡です。

御所の界隈は京都の重要事項を決める場所だったといえるでしょう。
特に、御所が朝廷のある場所であるのに対して、御池界隈は京都のことを決める場所だったといえるでしょう。

御池通りと京都市役所について紹介しました。


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